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大阪家庭裁判所 昭和38年(家)2414号 審判 1963年7月24日

申立人 山田玄生(仮名)

相手方 野上昌子(仮名) 外二名

参加人 山田キク(仮名)

主文

(1)  申立人および相手方三名は参加人に対し昭和三八年五月以降同人の存命中その扶養費をつぎのとおり分担し、すでに期限のきている五、六月分は直ちに、七月分以降は毎月末日限り、参加人宛に送金または持参して支払うこと。

(イ)  申立人玄生は毎月三、五〇〇円

(ロ)  相手方昌子同恵子同敏子は各毎月三、〇〇〇円

(2)  申立人玄生は相手方三名と協力して参加人の医療および退院に伴う必要な一切の措置を講ずること。

(3)  相手方三名は申立人玄生の上記二の行為に適切に協力すること。

理由

調査の結果によると、つぎの実情が認められる。

(1)  参加人山田キクは山田永山との間に相手方昌子同恵子同敏子申立人玄生らをもうけたが、昭和六年九月三日永山死亡後、間もなく、相手方らをおいて、玄生を養育しつつ滋賀の慈眼院住職石田正玄と内縁関係を結び、その間に寿子(昭和九年三月九日生)をもうけた。正玄との関係は同二五年一二月頃同人の死亡により解消となるまでつづいた。

その後キクは来阪し、豊中の恵子の近くに二階借りし寿子らと生活してきたが、同三一年八月一七日寿子が遭難死して後は、玄生や恵子や敏子の許に身を寄せたり、同人らから、確実ではなかつたが毎月一、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円程度の仕送りを受けて生活してきたが、キクの過去における昌子や敏子に対する態度やキクの性格ないし生活態度にも問題があつて、親子間の親族感情がしつくり融和しなかつたところ、同三七年一月頃玄生敏子らの間において、キクの引取扶養に関連して紛争を生じ親族間の感情はいよいよ険悪になつた。

かくてキクは世をなげき四国の霊場を巡礼したりした後、同年九月頃から再び恵子の家に身を寄せていたが、翌三八年二月頃風邪をこじらせ、病状は必ずしも入院を要する程度のものではなかつたが、恵子の家庭内の事情もあつて、恵子玄生の両名において、他の姉妹に計ることなく入院をとりきめ同月一四日頃貝塚市の河崎病院へ入院させた。

キクの病状は、入院後暫らくは経過良好であつたが、その後癌性疾患が判明し現在のところかなり重症で予後は暗い。

キクの入院治療費用として、入院後四月末日頃までに要した約一一万円については、キクの所持していた全財産ともいうべき一〇数万を充てて支払いを済ませたが、五月分以降の費用については、国保半額負担で約三万四千円を必要とする。

(2)  玄生は父永山死亡後、母キクと後夫正玄らの許で長く生活を共にし大学教育を受けたもので、そのため昌子敏子らから、当然キクを見るべき立場にあるものと考えられてきたが、転職などで生活が安定しなかつたり、福祉施設の寮長として寮に住込み勤務した時期もあり、また妻啓子とキクとの不仲な事情などもあつて、キクを引取つて適切に扶養することができなかつた。このため、恵子を除く他の姉らとの間にキクの扶養についてかなりけわしい紛争を生じたことも少なくない。

玄生は、昭和三八年二月恵子と相談し他の姉らに計ることなく、キクを、完全看護で多額の経費を要する病院へ入院させたが、キクの扶養についてはもとより入院費用の分担についても、昌子敏子らの協力を得られそうもないので、本件申立をしたが、その後キクの病変により、キクにもしものことがあれば多額の入院費用を玄生個人に請求されるおそれがあるところから、キクに対する扶養義務者である申立人および相手方らの扶養費分担額について早急に審判による決定を求め、しかる後これを根拠として生活保護法による医療扶助を受けて入院費用分担の軽減を意図している。

玄生は妻との間に小学一年の男子および三歳の女児あり、市営住宅に居住し、大阪市関係の福祉施設の寮長として月収約三万五千円を得ている。最近勤務先の都合や人事異動のためその職務上の地位はやや安定を欠いているが、かりにその地位に変動があるとしても、当分の間は俸給月額に相当する程度の収入があるし、また本件扶養については、母の病状にてらし、現在の月収を基本として負担額の早急な決定を希望している。

(3)  野上昌子は戸籍上キクの非嫡出子となつているが、真実は永山キクの子である。幼少の頃里子に出されるなどしてキクから充分の監護教育を受けなかつたし、結婚の際も母らしい配慮を受けなかつたと考えており、爾来現在まで多年疎遠な生活をしてきたもので、最近では、キクの入院につき何の相談も受けなかつたのに、入院費用の分担を求められることに承服し難いものがとしており、母キクに対する情誼もうすく、キクの扶養については、母に愛育されてきた玄生や恵子が責任をもつのが当然であり、冷遇を受けた自分としてはその義務も必要もない、と考えている。

昌子は夫との間に二男一女をもうけた。夫は大阪市教育委員会の課長を停年退職し、関係方面に適当な職場を得てそれ相当の収入を得ている。長男は別居して妻を迎えその間に二子あり、二男は病弱で、長女は本年高校卒業し会社勤務。昌子自身は大阪市役所地下売店の野上書店を経営しており毎月の純益は少くとも約二万円ないし二万数千円である。(仕入高として万伸図書約六万円、大阪屋約一七万円から返品率一割ないし二割を差し引いた二〇万円ないし一八万円、これに対する書店のマージン二割弱とみて約四万円ないし三万六千円、これから店舗賃料店員一名の給料その他必要経費を差し引いた金約二万数千円ないし二万円)。

(4)  久田敏子は、昭和六年父死亡後母の再婚などのため、追われるように家を出て来阪し独立して生活をはじめ、三三歳頃久田の後妻となつてその間に三子をもうけた。敏子も、昌子と同じように多年母キクから母としての親身な配慮を受けなかつたと考えており、またかなり年令差のある夫との結婚を母らが快よく思われなかつたことにいたく反撥するなどの事情があつて、母キクその他の親族とも疎遠な関係をつづけてきた。それでも恵子らと相談して母を引き取り扶養したこともあり二、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円程度の仕送りをしたこともあるが、このたびのキクの入院につき事前に全く相談を受けなかつたことなどから、母キクの扶養については積極的ではないが、玄生が母を引き取るのであれば姉妹とも相談して三、〇〇〇円以下の扶養料を負担する意向である。

敏子は数年前夫と死別して以後、遺産である土地家屋(固定資産税評価額で約七〇〇万円)に居住し、賃貸家屋からの家賃収入一二、五〇〇円の外明確ではないが資産にてらし相当程度の不動産収入がある。長男は大学卒業後金融機関に勤務し相当程度の収入を得ており、長女は高校卒業後洋裁を習得中で、二男は高校在学中である。

(5)  山村恵子は、他の姉妹らにくらべキクとの親子感情は良好で、これまでも近くに居住していた母の世話に努めてきたし、今後もできれば他の姉妹らと話し合つて母の老後をみるべきであると考え、自己の収入や生活程度に相応した扶養費を負担するつもりでいる。

恵子は戦後間もなく夫と死別し、二子を養育してきたもので、現在学校事務員として勤務し月収約二〇、五〇〇円を得ている。長男は高校卒業後数年会社に勤務し、長女は昨年高校卒業後母と同じ学校に事務職員として勤務し、それぞれ相当程度の収入を得ている。

さて上記認定(1)の事実によるとキクが扶養を要する状態にあること明らかである。そこですすんで扶養の程度方法について考察する。上記認定の各事実の外、本件調停の経過において知り得た事情を併わせ考えるに、申立人とその妻および相手方昌子同敏子の母に対する感情が必ずしも良好でないこと、相手方恵子の家庭殊に住宅事情が母キクを引取つて扶養するに適当でないこと、およびキクの現在の病状にてらすと、キクについては引取扶養よりも金銭扶養が相当と認められ、扶養義務者である申立人相手方扶養費分担額については、本件扶養が一般親族扶養としていわゆる生活扶助の義務に属するものであることを基本において、キクについて今後必要とされる入院費用の額、申立人および相手方の資産収入家族の状況(玄生の二子敏子の末子を除けば、家族は概ね成人し、その多くはそれぞれ相当程度の収入を得ており、親からの援助を必要としない)、申立人および相手方の母に対する関係と感情、殊に母との生活関係その他からみて第一に進んで扶養すべき立場にあると認められる申立人の母の扶養に関する従来の行為態度、また相手方昌子敏子らとキクとの疎遠な関係はキクの側にも少なからず原因があつたと認められる事情などを考慮すると、昭和三八年五月以降申立人玄生は三、五〇〇円相手方昌子同敏子は各三、〇〇〇円と定めるのが相当と認められ、なおこの扶養義務の円滑な履行のために、叙上の双方の親族感情やキクの病状にてらし、任意の協力が必要と思われるので特に主文第(2)、(3)項のとおり定める。

なお相手方昌子は、キクとの親子関係の実情からみて扶養義務はない、と述べているので付言する。そのように述べる昌子の主観的心情はそれとして理解できなくもない。しかし扶養に関する国法は生活困窮者に扶養義務者たる親族がある以上、通常の場合、先ずその親族をして、社会的地位相応の生活を送り余裕あればその限度で扶養の義務をつくさしめ、それでなお困窮者の生活維持に不足するときは、はじめて生活保護法等に基づき公的扶養をなすべきものと定めている。本件では、扶養義務者たる申立人相手方の叙上の資産収入生活状況等からみて、主文第一項に掲記の程度の扶養義務の履行を充分に期待できるし、また申立人相手方がこれを履行しても、なおキクの入院費用の支払いに不足する状況にあり、不足する分については貝塚市の福祉事務当局においても医療扶助によつて処置するとこを検討中である。このような事情を考慮に入れると、昌子についても他の扶養義務者と同じく主文第一項に掲記程度の扶養義務を定めざるを得ない。けだし特段の理由がないのに生活に困窮する直系血族に対する扶養義務を免がれてこれを一般国民に転嫁することは許されないからである。なおこの点については昌子のみならず本件当事者全員の深甚な留意を期待する。よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 西尾太郎)

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